「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」“奇妙な夢”の体験から見えた「自由」と「執着」【藤津亮太のアニメの門V 120回】 3ページ目 | 超!アニメディア

「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」“奇妙な夢”の体験から見えた「自由」と「執着」【藤津亮太のアニメの門V 120回】

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』は「奇妙にねじれた夢」のような作品だ。画面に見覚えのあるものがでてきても、記憶の中のそれと画面の中のそれは微妙に異なっている。“記憶”の断片が連想ゲームのように紡がれていく本作はその点で、とても“夢”に似ている。“夢”はシリ…

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では、どうして“向こう側”のララァの意思がこの世界にこぼれ落ちてくるのか。“向こう側”のララァはシャアを救いたい一心で世界を何度も作り出したが、同時に自分に執着するシュウジも救いたかったのではないか。シュウジはララァの望む世界が出来上がらなかったときに、何度も世界を壊してきたと語っている。ふたりがどういう関係かは、映像ではわからないが、「作り出す者」と「壊す者」として一対のものであるということはわかる。そして「壊す者」はどうしても「作り出す者」に執着せざるを得ない。  

マチュはシュウジに「そんなシュウジが自分の心を縛ったりしないで。ララァのことが好きなんでしょ」と語りかける。これはマチュが失恋を引き受けた台詞でもある。

「私にはわかるララァはそんなこと望んだりしていない。シュウジが守らなくたっていいんだよ。誰かに守られなきゃ生きていけないなんて、そんなの本物のニュータイプじゃないう。(略)明日のわたしはもっと強くなってやる。誰にも守ってもらう必要のない! 強いニュータイプに!」と叫ぶ。この瞬間、“向こう側”のララァが覚醒する。  

そして、すべてが決着した後、“向こう側”のララァが口にする台詞が「ありがとう。こちら側のニュータイプさん」である。どうして“向こう側”のララァはマチュに「ありがとう」と言ったのか。これは単に自分の生命を守ってくれたとかそういうことではないだろう。シュウジに殺されたとしても、世界を夢見る主体であるララァは存在し続けるとシュウジが説明しているとおりだからだ。  

そう考えると、マチュはララァの思いを代弁し、シュウジを解放してくれたことを感謝したのではないか。シュウジがマチュに「きっとこの世界はきみと僕が出会うために作られたのかもしれない」という台詞も、ララァがマチュに自分の思いを託したことを考えると、ロマンチックな言葉以上の意味を帯びて聞こえてくる。  

眠り姫を守るために殺そうとする純粋なナイト。そんなシュウジに、マチュは「お前はもうナイトを務めなくてよいのだ」と言い渡す役としてララァの思いを代弁したのだ。それはシュウジに執着していたマチュが自由になったということでもある。これは子供だったマチュの成長である。  

さまざまなことが“向こう側”のララァが、不毛な世界の創造と消滅の繰り返しを越えて生きたいと思った、その思いから端を発していると考えるとわかりやすくなる。マチュやニャアンを取り囲む偶然はある意味必然であり、だからこそ「ありがとう」という言葉ですべての出来事は締めくくられたのではないか。こうして“向こう側”のララァによる夢は終わり、地続きのまま、誰も知らない未来が始まる。こうして「偽物の世界」は「本物」となっていく。本物の世界とは「自分の自由意思で選択された世界」のことなのである。  

作中でシャリア・ブルはニュータイプを「自由のために傷つくもの」という言い回しで語る。これは「未来を自分の意志で切り開く」という言葉でも言い換えられるだろう。未来を切り開くためには、自分の執着を捨てなくてはいけなくなることもあるだろうし、未来が見えたことでなにをすべきかわからなくなることもあるだろう。そのときに恐れずに一歩を踏み出すことができる人間をこそ、シャリア・ブルは“ニュータイプ”と呼びたいと――考えたというよりは――願ったのだろう。  

シャアを失った“向こう側”のララァは、何度も絶望の果てに強くなったのではないだろうか。「来るはずのない相手を待ち続ける」という決断のできた“こちら側”のララァの姿を見ると、そういう想像も許されそうな気がする。    

こうして「自由」と「執着」というキーワードで見返すと、第12話の巨大化したガンダム(TV『ガンダム』と同じデザイン)は、“向こう側”の世界への執着の大きさの象徴であり、そのまま現在のガンダム・ビジネスとそれを支えるファンの執着の姿のようにも見える。そして未来は、その執着に立ち向かい、乗り越えた先にしかない――といっているようにも見えるのだ。そうなるとシュウジとは「ガンダム」に心惹かれた人々の集合無意識のようなものではなかったのか、というふうにも見えてくる。これはいささか深読みが過ぎるとも思うが、その執着を、これから作られていく新しいガンダムがばっさりと切り捨てていくことで、未来が開けていくのは間違いのないような気がする。


【藤津 亮太(ふじつ・りょうた)】
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」で生配信を行っている。

《藤津亮太》
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