スポーツアニメはケレン味で見るか? 日常系で見るか? はたまた“試合時間”の一体感か【藤津亮太のアニメの門V 117回】 2ページ目 | 超!アニメディア

スポーツアニメはケレン味で見るか? 日常系で見るか? はたまた“試合時間”の一体感か【藤津亮太のアニメの門V 117回】

アニメの王道ジャンルである“スポーツ”。その多岐にわたるスポーツアニメに、昔から今にかけて一体どのような変化が起こっているのか?

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スポーツアニメのもうひとつの注目ポイントは「競技の時間」と「登場人物の内面の時間」をどのようにバランスするかだ。  

マンガでは、そのプレイの瞬間を表現する一コマに、登場人物の内面を表現する長いモノローグがついても、そこまで違和感は生まれない。なぜならそうした内面のモノローグは、その瞬間に登場人物が思ったり感じたことを、読者にわかりやすいように言葉の形で展開したものなので、そこに時間は含まれていないのだ。  

しかし、アニメになるとそのモノローグは音声として発せられることになる。そうなると時間がどうしても発生するから、「競技の時間」とモノローグで表現される「内面の時間」の差をどこかでうまく両立させなくてはならなくなる。この課題は『巨人の星』の頃からよく指摘されているスポーツアニメのキーポイントだ。  

具体的には、止め絵もしくはスローモーション(的な表現)を使って、プレイの時間をゆっくりと引き伸ばして描く方法や、プレイとプレイの合間の「間」を使う方法などが使われている。しかし、スポーツのタイプによってこれらの使い方は変わってくる。  

例えば野球はひとつひとつのプレイの独立性が高く、それぞれのプレイの間に「間」が多く挟まれる。このためプレイ中の時間を引き伸ばすだけでなく、随所に「内面の時間」を挟みやすい。  

一方、サッカーやバスケットボールなどは選手が動き続けるスポーツのため「間」はほとんどない。とはいっても時間を引き伸ばしてばかりいると、競技特有のスピード感が薄れてしまう。こうして考えると、しばしばアニメならではの奇妙な描写として『タイガーマスク』のリングや、『キャプテン翼』のグラウンドが“異様に広い”ことが指摘されるが、「プレイを止めずに、登場人物の内面や各種説明伝えるため」だったと考えると、一種の合理的な判断であったことが浮かび上がってくる。  

映画の中でひとつの試合をまるごと描いた『THE FIRST SLUMDANK』と『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』は、どちらも競技の時間のほうにぐっと重心をかけた映画だった。もちろん回想やモノローグなど「内面の時間」も登場するが、そちらはあくまで「従」であって、映画そのものは「競技の時間」の中に観客を巻き込むことを主眼に構成されている。これはここ10年弱で「応援上映」を通じて定着した、「映画館はライブ感を味わう場所である」という楽しみ方とも地続きの方法論でもある。  

ただ、この方法論がとれる作品は案外少ないのも事実。ひとつの試合(勝負)が短いものであれば『メダリスト』のフィギュアスケートように、放送の話数の中でまるまると演技を見せてしまうことも可能ではある。ただフィギュアスケートの大会をまるっと映画でやろうとすると、主人公の登場時間が短すぎる形になってしまう(ただし主人公以外にも人気キャラが大勢いるのであればこの問題はクリアされる)。

また興行として成立するには、観客が最初からその試合を見たいと思っている、ということが必要となる。だからある程度実績を持った作品でないと、わざわざまるまる試合をひとつ分見てみようという気持ちになる人は限られるだろう。  

こうした「競技の時間」中心の作品に対し、「内面の時間」を主に組み立てたのが、サッカーを扱った『ブルーロック VS. U-20 JAPAN』だ。  

『ブルーロック』は個性的なキャラクターたちが己の目的やこだわりをむき出しにぶつかりあうところに作品の魅力がある。だからそれぞれのキャラクターの「内面の時間」に割く時間が必然的に増えていく。本作はその「内面の時間」を表す大量のモノローグに対し、キャラクターたちのプレイをスローモーションでみせる映像を組み合わせた。スローモーションの映像は、動く部分は最低限だが、描きこみと撮影でリッチに仕上げられ、長台詞の間でも十分間が持つようになっている。  

こうして「内面の時間」に多くのカットを割き、キャラクターの感情を圧縮していったその先に、スピード感あふれる動きで描かれる決定的なプレイのシーンが置かれている。この「内面の時間」から「競技の時間」へと切り替わる緩急が、観客に大きなカタルシスを生むことにつながっている。  

これはどれが正解ということはない。作品の持ち味と、見せ方の組み合わせ、そして制作現場のマンパワーをどこに注げば一番いい形になるかということの組み合わせといえる。  

この2つのポイントを頭に入れてみると、さまざまなスポーツがアニメの題材になる可能性を持っていることがわかる。個人的にカーリングやスキージャンプを題材にしたアニメは、なかなかおもしろくなるんじゃないかと思っているが、どうだろうか。



【藤津 亮太(ふじつ・りょうた)】
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」で生配信を行っている。

《藤津亮太》
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