発売中のアニメディア2017年11月号で掲載しているコラム「アニメ妖怪よもやま話」。アニメ・マンガ作品における定番ジャンルでもある「妖怪」のことを、ときに楽しく、ときにちょっとだけアカデミックに解説するコーナーとなっている。今回はその全文を掲載します。語り部は奈良県在住の妖怪文化研究家・木下昌美先生です。
<1960年代を反映した作品『妖怪人間ベム』>
TVアニメ放送開始から50年を迎える『妖怪人間ベム』が『俺たちゃ妖怪人間』としてお茶の間に帰ってきます。新『妖怪人間』はこれまでの作品と打って変わって、ギャグテイスト。『おそ松さん』にしてもそうですが、昭和の作品を現代の視聴者に向けてリニューアルすることで、今までに気づくことがなかった魅力を発見することができます。
話がそれましたが『妖怪人間ベム』は「早く人間になりたい」が決めゼリフのホラーテイスト作品で、独特の世界観が印象的です。1968年の放送以降、合計2回のアニメ化がされています。若い世代のみなさんには、ドラマ化された作品の印象が強いかもしれませんね。
物語のあらすじは、人間を作ろうとした科学者の研究により、とある細胞が生まれます。しかしながら科学者は死んでしまい、細胞が放置されることに。その細胞から誕生したのが、主要キャラクターとなるベム、ベラ、ベロ。人間でないことにコンプレックスを抱く彼らは、ときに人におそれられながらも人を助け、完全な人間になる方法を探し求め放浪するというストーリーです。そして普段の彼らは人に近い姿をしているものの、感情が激しく高ぶったとき妖怪人間の姿になってしまいます。
初代TVアニメが放送された1960年代と言えば『妖怪人間ベム』だけでなく『オバケのQ太郎』や『ゲゲゲの鬼太郎』『怪奇大作戦』『どろろ』など異形のものが活躍する作品が盛んにTVに登場し、人気を博しました。
なぜ、そうしたものが流行したのか、少し時代背景を見てみたいと思います。1960年代は高度経済成長期にあたります。1964年には東京オリンピックが開催、1970年には大阪で日本万国博覧会が開催されました。古いものは切り捨て、新しいものをよしとする時代と言えるでしょう。一方で自然破壊といった、急激な変化に伴う弊害もたくさん見られました。そうしたなかで妖怪というツールを用いることにより、当時の世論に対する問題定義をしたり、古いものの価値を見直そうとする運動があったことがうかがえます。
<「妖怪」という言葉が持つ曖昧さ>
そもそも「妖怪人間」とは、なんなのでしょうか。物語のなかでは人でも怪物でもないものという説明がされています。なんだかよくわからないですが、きっと制作陣は「なんだかよくわからない」と視聴者に感じてもらえるキャラクターづくりをしたかったのだと思います。一説によると本作は国外でも放送することを意識して、無国籍風のつくりになっているようです。その影響もあってか、作品全体を通して「妖怪」という言葉の持つ意味と定義付けが、ふんわりしているように感じます。
もともと妖怪という単語は古く『続日本紀(しょくにほんぎ) 』(797年成立)に見られます。しかし、言葉が定着することはありませんでした。広く使われるようになったのは明治時代以降です。文明開化に伴い、妖怪という存在を滅ぼそうとする風潮があり、その際に研究者たちが共通認識のための用語とすることで定着しました。
つまり妖怪という言葉が一般化したのはここ150年ほどのことで、とはいえ「妖怪」という用語自体に明確な定義が設定されることはありませんでした。『妖怪人間ベム』に登場するベム、ベラ、ベロのキャラクター像にも、そうしたぼんやりした雰囲気が反映されているのではないでしょうか。
余談ですが、現在、妖怪人間に代わる言葉として耳にするものが「半妖」ではないかと思っています。半妖は読んで字のごとく妖怪と人間のハーフ。いまや多くの作品で使われるようになりましたが、高橋留美子さんの人気マンガ『犬夜叉』の影響が強いのではないでしょうか。その30年以上に前に発表された、水木しげるさんの『ゲゲゲの鬼太郎』に登場するねずみ男や猫娘も“半妖枠”ですが、まだ明確な設定がされておらず「漠然としたもの」として描かれています。
冒頭でも書いたように、新作の『俺たちゃ妖怪人間』はこれまでと違った作品になると思われます。どのような形で、新しい「妖怪」が浮かび上がる作品になっているのか、とても楽しみにしています。
解説:木下昌美
<プロフィール>
妖怪文化研究家。福岡県出身、奈良県在住。子どものころ『まんが日本昔ばなし』に熱中して、水木しげるのマンガ『のんのんばあとオレ』を愛読するなど、怪しく不思議な話に興味を持つ。現在、奈良県内のお化け譚を蒐集、記録を進めている。大和政経通信社より『奈良妖怪新聞』発行中。
●挿絵/幸餅きなこ