小鳩と小佐内の会話は、もちろんバストショットの切り返しだけで進むわけではない。続いてよく使われたのが、真横からふたりをとらえたロングショット。さらに小佐内の背後にある階段の手すりの間から小佐内の後頭部を見せるカットも繰り返し登場する。
横位置のロングショットは、時に隣のテーブルに置かれた器が境界線として配置されるなど、第1話から描いてきたふたりの距離を再確認するかのように挟まれる。一方、階段の手すりの間からのぞくカットは、小佐内の表情だけでなく、小鳩の顔も小佐内に重なってまったく見えない。左右に手すりの柱がある狭苦しいレイアウトは、小佐内が現在、置かれている状況を端的に現している。これが小鳩が具体的証拠を挙げて、小佐内に迫るくだりになると、カメラ位置が少しずれて、手すりの柱の間の狭い空間に小佐内の後頭部をなめて、小鳩の顔が見えるようになり、さらに小佐内が追い詰められていることが強調される。
第9話・第10話では、イメージシーンもポイントポイントで挿入される。まずシャッターの降りた商店街の中に立つ小佐内。途中からここに小鳩も登場する。この商店街は、通りの行く先が見通せず、まるで迷宮のようだ。そこは現在、対話の中で進行している論理の迷宮なのだ。その中を小佐内は歩き、小鳩はその後をついていく。接近しては離れていくふたり。それは小鳩の推理と小佐内の反応が反映されている。
最終的にこの商店街の出口に、ふたりが会話している喫茶店「CAFE CECILIA」のソファが登場する。論理の追いかけっこは終わり、そこからは企まれたことの倫理性をめぐる話がスタートする。露出オーバーで白く明るい出口の向こうに道行く人が描かれているのは、倫理という形で“社会”との関係性が問われる展開だからだろう。小鳩からの最終的な指摘を受け、小佐内は手を口ものとに運び、「自分がどこにいるかわからない」といったふうに左右を見る。小佐内は“迷路”を正しくクリアしたつもりが、いわれてみれば想像もしない場所に出てしまったのである。
この後、小鳩が“小市民”を志すに至った中学校時代の体験が象徴的に描かれる。そして小佐内の「ねえ、小鳩くん、私たちもう一緒にいる意味ないよ」という台詞が入る。この時、小佐内は商店街ではなく、川の中にいる。
このイメージの川は第1話でふたりが“互恵関係”にあるということを描いた時にも出てきた。第1話では先に、小佐内が川に入り、そして小鳩もまた川の中に足を踏み入れた。しかし第10話では小佐内が川にいても、小鳩はまだ商店街の中にいる。
小佐内は「口では小市民っていいながら、本当はそうじゃないと思っている。(略)本当に小市民になることなんて考えてもみない」と語る。この時、小佐内は「口では小市民っていいながら」と川の上流に流れに逆らって歩き、向きを変えて「本当に小市民になることなんて考えてもみない」と川の流れのままに下流に向かって歩く。
川の流れとはつまり「推理の快楽」であり、第1話では小市民としての“互恵関係”の象徴に見えた川が、実はふたりの関係が“互恵関係”という皮を被ったある種の共依存であったことを自覚する場所へと転じる。そして河原に現れた小鳩は、川に入ることはない。小鳩は小佐内の言葉にうなずくしかないのである。
このように第9話・第10話の、ソリッドな演出で見せる室内での会話劇と、ふたりの関係を象徴性を使って見せるイメージシーンは、どちらもシリーズの最初から積み重ねてきたさまざまな描写の結節点として配置されている。ひとつずつ必要なパーツをある種の違和感をもって配置し、それが最後に大きな真実の一部であったとわかる。本作の演出は、そんなふうにミステリーのように組み立てられていた。その企みと徹底にこそ、興奮せざるを得ないのだ。
なお第10話で、ひとつ気になるカットがある。イメージの河原で小佐内と言葉を交わした小鳩は、振り返って土手に立つ電波塔を見上げる。どうしてここで電波塔なのか。
河原にある目立つ建造物としてしばしば画面に登場してきたこの電波塔。イメージシーンだと第8話で、誘拐から解放された小佐内が小鳩に礼をいうシーンで印象的に登場している。小佐内が頭を下げる瞬間、背景は事件現場ではなく、イメージの河原の電波塔がふたりの間に建っているのだ。初見の時は、これもまた「分割線」の一種かと思ったが、ここに電波塔が召喚されたのはそれだけではなさそうだ。でなければ第10話で小鳩が電波塔を振り返りはしないだろう。
これは勘ぐり過ぎで単に論理の迷宮に入っているだけなのだろうか。それとも何か読み解きに必要なピースを見落としているのか。企みの明確な演出が魅力的な作品だからこそ、第2期が始まるまでまだ何度か見直して、その細部をあれこれ考える楽しみが残っているようにも思う。
[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」で生配信を行っている。