アニメディア9月号コラム「アニメ妖怪よもやま話」全文掲載。妖怪文化研究家・木下昌美が『最遊記』シリーズから「妖怪」という言葉が持つ意味を説く | 超!アニメディア

アニメディア9月号コラム「アニメ妖怪よもやま話」全文掲載。妖怪文化研究家・木下昌美が『最遊記』シリーズから「妖怪」という言葉が持つ意味を説く

発売中のアニメディア2017年9月号で掲載しているコラム「アニメ妖怪よもやま話」。アニメ・マンガ作品における定番ジャンルでもある「妖怪」のことを、ときに楽しく、ときにちょっとだけアカデミックに解説するコーナーとなってい …

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 発売中のアニメディア2017年9月号で掲載しているコラム「アニメ妖怪よもやま話」。アニメ・マンガ作品における定番ジャンルでもある「妖怪」のことを、ときに楽しく、ときにちょっとだけアカデミックに解説するコーナーとなっている。今回はその全文を掲載します。語り部は奈良県在住の妖怪文化研究家・木下昌美先生です。

 

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<『最遊記』に見る、妖怪の擬人化> 
 

玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)ら三蔵一行が西へと向かう物語を独特の世界観で描く、峰倉かずや氏による大人気マンガ『最遊記』シリーズ。1997年の連載スタート以来、長きにわたって読者を楽しませてくれています。今年7月からはアニメ『最遊記RELOAD BLAST』の放送がスタート。本誌でも特集が組まれていますね。今回は同作品に見る妖怪について考えてみたいと思います。

 本作の舞台となるのは桃源郷(とうげんきょう)。かつては人間と妖怪が共存する平和な世界でした。しかしながら大妖怪「牛魔王(ぎゅうまおう)」の復活をもくろむ者たちの影響で「負(マイナス)の波動(はどう)」が広がり、妖怪たちは自我を失い始めます。そこで三仏神(さんぶつしん)の命により、牛魔王組成実験(そせいじっけん)を阻止するため、玄奘三蔵と孫悟空(そんごくう)、沙悟浄(さごじょう)、猪八戒(ちょはっかい)らがジープに乗って西を目指すという話です。

 さて、作中に幾度となく登場する「妖怪」という言葉に関して、多くの人がスルーしている、もしくは違和感を覚えているのではないかと思います。理由は、おそらく登場するキャラクターたちのビジュアル。この物語のなかでは人と妖怪、神や仏(ほとけ)が中心となって活躍しますが、いずれの種族も人と似通った容姿をしているのです。

 アニメに登場する妖怪といえば、多くがそれとわかるように人ならざる姿をしているイメージでしょう。たとえば、7月にアニメがスタートした『妖怪アパートの幽雅(ゆうが)な日常』のキャラクターたちは顕著(けんちょ)です。明らかに人ではないとわかるように描き分けられています。それに対して『最遊記』の妖怪と人との違いといえば、せいぜい耳が少し尖っている程度。一見すると人間と見間違えるほどなのです。

 妖怪の擬人化……とも言えるこの現象ですが、何も新しいことではありません。有名なところでいえば平安・鎌倉時代の絵巻『鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)』もそのひとつです。絵巻に登場するウサギやカエルは、見た目は獣(けもの)のままですが、その行動は人をマネています。そのほかにも、古くから異類を擬人化するというパターンはあるものです。

 そもそも妖怪というものは姿かたちが決まっていません。創作者がどのような形で表現しようと自由です。ただし、それぞれの妖怪が持つ歴史的背景や地域の文化などを下敷きとせず、妖怪の姿かたちだけを限定してしまうと、それはいちキャラクターになってしまいます。“ひこにゃん”や“くまモン”のようなご当地キャラクターと同じです。アニメやマンガの場合は「作中のキャラ像の確立」という意味で成功ですが、妖怪という観点から考えると、少しズレてくるかもしれません。

 どちらがいい悪いというわけではありませんが、そうした意味で『最遊記』に登場する人間らしい妖怪は、幅が広く、より妖怪らしいと言えるかもしれません。

 

<神と妖怪> 
 

さて、登場人物には人と妖怪、神などが混在していることは先述したとおりです。玄奘三蔵は物語のなかでは最高僧のひとりで、人間です。一緒に旅をする孫悟空は作中でも特殊で、妖怪でも人でも神でもありません。また、沙悟浄は人と妖怪の間に生まれたハーフ、そして猪八戒はかつて人間でしたが、とある事件をきっかけに妖怪と化したという設定です。

 かつて「妖怪は神が零落(れいらく)した姿――」と説いたのは、民俗学者の柳田國男氏。その後、さまざまな研究が重ねられ、今では神と妖怪はどちらが上、下という関係ではなく表裏一体の存在としてとらえられています。文化人類学・民俗学者の小松和彦氏は、祭祀(さいし)する人の数が多いと神に、少なければ妖怪になると説きます。

『最遊記』の世界では、神はほかの種族よりも少しばかり優位な地位にあるように見受けられます。そして妖怪は人に害を及ぼすものとして毛嫌いされているようです。そうは言うものの、主要メンバーたちは人間や妖怪に関係なく、共に旅を続ける。先に挙げた柳田説と小松説が混在した設定ではないでしょうか。

 このように『最遊記』は「妖怪」という言葉が持つ意味を改めて考えるうえでも、非常に興味深い作品であると思います。三蔵らが旅を続けた先には、どのような世界が待ち受けているのでしょうか。今後に注目です。

 

 

解説:木下昌美
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<プロフィール>
妖怪文化研究家。福岡県出身、奈良県在住。子どものころ『まんが日本昔ばなし』に熱中して、水木しげるのマンガ『のんのんばあとオレ』を愛読するなど、怪しく不思議な話に興味を持つ。現在、奈良県内のお化け譚を蒐集、記録を進めている。大和政経通信社より『奈良妖怪新聞』発行中。

 

●挿絵/幸餅きなこ

 

《超!アニメディア編集部》
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