2025年で30周年を迎えた『エヴァンゲリオン』シリーズ。それを記念するプロジェクト「EVANGELION 30th ANNIVERSARY PROJECT RADIO EVA “THE 30”」が実施中。
その企画のひとつ「月1エヴァ」では、10月より2026年2月にかけて各月に1作品、『エヴァンゲリオン』シリーズ6作品が全国の劇場にて上映されている。
1995年からTVシリーズが放送され、“平成”を代表するアニメのひとつであることは間違いないだろうが、リバイバル上映を見た感想は「不思議と“懐かしさ”を感じない」であった。
それこそ、シリーズ最後となる『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が公開されたのは2021年。それまで不定期に『エヴァンゲリオン』シリーズは劇場公開され、このほかにもゲームやパチンコ、舞台など、さまざまな形で展開し続けてきた。
元々作品の舞台も2015年と少し未来を描いてきたこともあり、キャラクターの服装や街並みなどの背景があまり“平成らしさ”を感じさせないのである。
そこで今回は、映画ではじっくり描かれていなかった小物部分や表現に注目したく、通称“貞本エヴァ”と呼ばれる、マンガ版『新世紀エヴァンゲリオン』を振り返ってみることにする。“平成らしさ”はあるのだろうか。
マンガ版はアニメに先行するかたちで、1994年から「月刊少年エース」に連載され、作画を『サマーウォーズ』や『GREAT PRETENDER』のキャラクターデザインで知られる貞本義行が担当。2013年に完結し、2021年には全7巻の愛蔵版が刊行された。
さまざまな作品で“多少”の「分岐システム」を持つ『エヴァ』シリーズだが、どれが1番好みかと言われると私はこの“貞本エヴァ”を挙げる。TVアニメや劇場版でわかりづらかった部分が、マンガ版だとわりとすんなり内容が入ってくるように思うからだ。そして“貞本エヴァならではの点といえば、渚カヲルのシーンが多いということ。アニメや映画では描かれなかった部分もあり、キャラクター像も少し違って見える。
久しぶりにマンガを読んでみて「ここ、平成だ!」と思った部分は下記だ。
・ミサトの「ちょっちだけ」などの口調
・加持リョウジからミサトへの固定電話の留守番メッセージ
・アスカから加持リョウジへの釈明の手紙
ミサトの仕事場以外での会話の口調は、「~~なのよネ」「~~ヨ」と書かれており、わりと“古さ”を感じた。「ちょっち」も死語に近いだろう……。
また、個々のスマホが普及している今、あえて重要なメッセージを固定電話に残すことも考えづらい。友達の家の固定電話にかけると、まずその家族が出てつなげてもらう……という昭和・平成の電話の一連のモーションがあるが、今考えると少し恥ずかしいし、面倒くさいと感じてしまう。
アスカが加持への誤解を解くために手紙をしたためるのも、電話やLINEでいいんじゃないかな?と今なら考えてしまう。情緒もへったくれもない。
しかも加持に直接渡すわけではなく、シンジに中継を頼んでいるのも、すごく厄介なことをしているなーとしか思えない。女子中学生といえば、友達との手紙交換や交換ノートをするという文化もあるが、令和になった今も健在なのだろうか?
このように少し、イマドキではない当時の文化のようなものを感じるシーンもあったが、シンジの学校の授業ではパソコンが導入されていたり、使徒との戦いから街を守るために地下都市が作られていたりと、令和の今に見ても“近代感”を感じる描写はある。エヴァ乗車時のプラグスーツも、古臭さは感じさせず、“未来のコスチューム”として見ることができる。
舞台の2015年を越えても、まだまだ『エヴァンゲリオン』はどこか未来的でSFな世界を見せてくれると同時に、“共に”歩み続けていくコンテンツなのだろう。









